南の缶詰

経営オタクの雑記

寒空における生足JKパラドックス

経営経済学徒諸君、私は本日歴史的発見を達成した。これはこの社会科学を一歩前進させ、日本を救うことになるやもしれない。もちろんこれは偶発的発見だが、その機会を与えてくれたこの世の環境とJKに感謝したい。

それは歩いている時に発見した

本日午後5時を少し回った頃、私はアルバイトに向かっていた。外を歩きながらセブンイレブンのコーヒーの味に思いを馳せていた。あのスケールメリットはいかにして追求されてきたのかと

その時、たまたま私の横からチャリンコが通り過ぎた。そのチャリにはJKらしき人が乗っていたのだが、生足だった。
おお……
寒そう

その時、そのJKがまたすんごく寒そうにしてたんです。首すぼめてマフラーに顔埋めて
いやJKさん、防護そこじゃないです

そこで思い出したのだ

法人も個人と同等の人格を有している。逆転すると個人と同等の人格を有しているのは企業も同じなのだ。つまり企業はJKだった…?
いやそこじゃない。そうじゃないのだ。このJKのように防護するべき部分を防護せずしてどこともなく突進していく様がまるで需要を探し求めて自分だけが良いと思う製品を市場に流し続ける企業を思い浮かべたのだ。
もちろんJK個人の事情は知らない。これからその生足を見せつけるための人がいたのかもしれないし、どこかのイケメンを街中で引っ掛けるためにつまりあるかもしれない需要を探し求めていたのかもしれない(しかしこの分岐点は後々重要になってくるので、今回は両方の分岐を想定して話を進めたい)。

法人も同じだ。法人もヒトと同じで、煩悩は100と8つあるし金銭という形の食欲があり、産業廃棄物という排泄をし、企業合併からの子会社設立という繁殖欲も存在する(厳密には私個人的な見解によれば、買収合併の子会社化は姉妹会社すなわち妹会社であり、業務提携的な同等関係にある時に子会社という名称を用いると考えているが詳しくは後日に語ることとしよう)。
そうした法人がJKのように寒空の下生足を晒し出すことに本当にそれだけの価値を見出しているのだろうか。

本当は寒い中我慢しているのかもしれない

本論で繰り広げる前提は上記の通りである。しかしJKは生足を晒すことが少なくともそれ自体に大して何かしらのメリットを感じていることに間違いないのだ。それが前節における需要探索なのだとすると、これは風邪をひくリスクを負ってまで行う活動としては些か
戦略として疑問に思うばかりである。あまりにも個人的な視点による比喩表現をし過ぎたので、ここで現存する企業にある問題点を挙げるとするならば、組織内で認められ、市場調査の結果良を得られ、上層部からもゴーサインが出たものの現実の市場に顧客が存在せず、どこかに存在するやもしれない需要を探し求めてコストばかりが膨らむという様子である。すなわちこれこそが本記事タイトルとなっている寒空における生足JKパラドックスなのである。

やろうと思えばできることをやらないのは意地かエゴかはたまた

上のJKはもちろん私の都合によって相手がおらずにどことも知れず出かけていく哀れな存在として決められたわけだが、二節前の後者に関する話はこのあと行うのでそれまで我慢してもらいたい。
では何故JKは寒い中分厚いズボンを履かないのか。生足をこの寒い時期に敢えて晒すことがアイデンティティとなっているのか(こうした事例は企業にもありがちである)、エゴ以外の何者でもないのか、それとも履けない状況にいるのかのどれかではなかろうか。企業に直すと、撤退した方が身の為となっているにも関わらずその状況を無理やり推し進める方策である。しかも企業は個人ではなく組織であるため、より手の付けられない惨事になる。これこそが形式知となったパラドックスだ。本当は寒い思いをしたくないのに、本当は暖かいズボンを履いて無駄にチャリンコで走り回りたくないのに、そうせざるを得ない。なぜならばそこで需要を得られなければ市場で生き残れないからなのだ。このパラドックスから抜け出すためにはどこかで区切りをつける必要がある。思い切ってズボンを履いてしまうか。もしくは終わりを達観してパンツ毎脱ぎ捨てて行けるところまで行ってしまうかのどちらかだ

既存顧客を得てそこに向かっていたJKだったなら

さて書き忘れていたので追記という形になっているが(申し訳ない。しかし投稿時間を見て勘弁していただきたい。私も何か足りないなと思っていたのだ)、JKのもう一つの分岐ルートとして(しかもこちらの方が圧倒的に確率が高いという)、既にその生足を披露する相手がいると考えられるパターンであり、風邪をひくリスクを負ってでもその活動を推し進める企業で言うところの確実な需要の下の薄利多売的行動は、リスクもあるが得られるメリットを抑えているところからして、前者の無理とは一線を画する。
企業においてはこちら側に居る場合、やり方により工夫をもたらしながら(合うまでは生足ではなくズボンを履いて相手の前でだけ脱ぐ等)進めていくのが私の考える合理的意思決定である。

終わりに

さて自分でも思っていた以上に割と真面目なエントリになってしまったかもしれない。しかし考える上ではいい機会になった。40%くらいジョークなのだが、それでも改めて個人と法人との人格の一致について認識することになろうとは…
まだまだ至らぬ点が多い私ではありますが、今後も何か発見出来次第ここに書いていきたいと思います。
比較的長い記事になりました。minami5741でした。