次元を越えた男
俺は今日で入社一ヶ月目を迎えた新入社員だ。名前は南という。
生来の飽き性と五月病に完全に頭をやられた挙句、オタク気質なのも手伝って毎日アニメばかり見て過ごしていた。たった一か月であるというのにも関わらずもう仕事に飽き始めているのだ。我ながらどうかと思うが、学生時代には割と一生懸命に覗いていたライフハッカーの記事も見ることなく、非生産的な日常を送っていた。そんな俺が望んだことが、以下の一言である。
『二次元に行きたい……。』
そう、俺は高校時代にアニメにハマってからというもの、多くのオタクが憧れるように二次元の世界を夢見ながら過ごしていた。二次元にさえ行くことができればこっちのもんだ。何をしようが制限もされないし好きな女の子たちと戯れることもできる。セカイ系ならば俺がヒーローだ。
「起きたら二次元の世界に行けてないかなぁ」
寝床で今日も呟いたそんな俺の妄言を、
日本におわします八百万の神々の中の最もお暇だったのであろうひと柱様が聞きつけたのか、突如布団の周りが神々しく輝きーーー
「お主、違う世界に行きたいのか。」
「えっ」
気が付くと目の前にいかにも神様らしい老人がいた。俺は思わず布団から這い出て正座をする。
「さっき言うておったぞ。なんちゃら元の世界に行きたいと」
「あ、はい言いました。二次元の世界に行きたいって言いました。」
「わしゃソウゾウを司る神なんじゃが、ちょうど今暇での。少しばかり人間と遊びたくなったもんだから協力してやっても良いぞい。」
「ホンマでっか!?」
僥倖だ。特に徳も積んでこなかった俺がこんなところで二次元行きの切符を手に入れることができるとは。先日会社へ行く途中に同い年くらいの女性とぶつかるというラッキーに恵まれたが今回はそれ以上だ。ちなみにその女性とフラグが立つことは無かった。ぶつかって来ておいて睨みつけた上に「最悪っ」とかいうツンデレは三次元では通用しないのだ。
「まぁ話半分に聞いておき。明日の朝を楽しみにな。」
少しずつ薄れゆく意識の中でそんな声と先日のツンデレ女が頭の中でぐるぐると回転していた。
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朝だ。目覚めが悪い。いつものことだ。
俺は6時に起床し、洗顔と朝食を済ませながら新聞を読む習慣がある。これもかれこれ一か月になるがもう板についたものだろう。たぶん。
しかしその日は少しばかり様子が違った。何というか、目に映る世界はいつも通りなのだが、どこかこう『薄っぺらい』。
パンを食べてもいつもの味。新聞もいつも通り…と思いきや新聞社が変わっていた。
○×新聞だと……?今日はエイプリルフールだったか?いや、記事の内容は普通だ。
どうにもよく分からないが、大体ここら辺で昨日見た神様とやらの話を思い出した。まさか……
俺はさっさとスーツ姿に着替えるといきなり外に出た。そこは、見渡す限りの
いつもの景色だった。
だが、どこかがおかしい。
「どういうことだこれ……?」
まただ。景色が『薄っぺらい』。奥行は確かにある。だが遠くから見るとまるで一枚の紙のようにぺらぺらなのだ。背景のように。
どこかまだ信じられないまま職場に向かうために駅へと急いだ。駅に近づくと同時に人が増えていく。しかし彼らは…
「ふぉっ!?」
俺は他人を見るたびに変な声を上げてしまった。皆が皆、髪色が黒じゃない。いや、黒もいるが基本茶髪、赤髪や青髪、中には緑やピンクといった髪色の男女がスーツを着て歩いているのだ。俺と同じようにカバンを持っている奴もいればこれから何かを倒すために用意したような剣やどう見ても救済のために現れたとしか思えないピンク髪の少女がにっこり笑いながら弓を持って歩いているのも見かけた。顔を一人ずつよくは見ていないが俺が昨日までいた世界とは微妙に異なっているようだ。
空でものすごい音がすると思って見上げると、箒にまたがった少女が滑空していた。あれが噂の魔法少女か。
恐ろしい。本当に二次元の世界に来てしまったと、ここでようやく俺は理解したのだ。
だがどこかしっくりこない。この不思議な感覚を無理やり言葉にするとこうなる。
「でも何かがおかしい……。二次元に来たのに二次元に来た気がしない……。」
これだった。何がおかしいのか。今のところ人の見た目や持ち物だけが変わっているということだけだろうか。いや違う。ここは自分に関する話だ。これも実はもう少しよく見れば分かる話だったのだ。
「みんな、男女で組になって歩いていやがる…。」
そうだった。どいつを見ても、学生も社会人も、はたまた小学生も皆が皆、男女で組になっていかにも楽しげに歩いている。
これは衝撃的な映像だった。俺は一人だけ歩いている。これだけで浮いているはずなのにも関わらず、誰も俺が一人でいるということにも気をかけない。ここまで圧倒的に状況が違えば誰かしら気が付くだろうに。……クソ!!
大量の人(男女カップルリア充)から逃れるようにして職場へ向かい、その間できるだけ目は閉じていた。ここまで我慢すれば…!!普段我慢しかしていない仕事も、もしかしたらいきなりフラグが立つのかもしれない。
「どぅおわっ!!」
「キャッ」
そんな妄想をしながら歩いていたら、女性とぶつかってしまったようだ。俺も向こうも尻餅をついてしまっている。情けない。先日と状況が似通っているではないか。
「す、すみません……。」
俺は謝りつつ手を差し伸べたが、女性は心底最悪といった表情を浮かべ、顔をしかめた。
「最悪っ…!」
そう言い捨てるとさっさとこの場を去ってしまった。行き場を失った手で頭を掻く。
「二次元……だよな……ここ……?」
先ほどの台詞は俺の想像する二次元の内容とは圧倒的に異なっていた。あれをツンデレなどと形容するバカがいればそいつにはオタクの素質が無いと断言できよう。二次元の存在があんなことを言うわけがないのだ。
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「おはようございます。」
「おはよう南くん。それじゃ今日も掃除からお願いね。」
会社に着くと先輩からいきなり掃除を願われる。その先輩は普段から綺麗なのだが今日はいつもより少しばかり…可愛さが増していた。これも二次元効果だというのか。
「はい。頑張ります。」
「ん?髪の毛にゴミ付いてるよ」
接近してきて、頭をまさぐられ、ゴミらしきものを取ってくれた。
「あ、ああああざまぁ…」
嬉しすぎて礼すらまともに言えなかった。入社以来こんなことは初めてだ。先輩は少し微笑むと自分のデスクへと帰っていった。
これだ!これなんだよ!二次元最高!!
しかし、本日起こった二次元らしいイベントはこれっきりだった。
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帰宅後、俺はこの身に起きたことを整理してみたが、どうにもしっくりと来ない。アニメを見ていてもこのような状況は起こっていない。俺は出てくる可能性に賭けて昨日と同じ神様を呼び出してみることにした。
「神様よ、ちょいと来てくれ。聞きたいことがある。」
「なんじゃらほい。」
意外にもすんなりと一瞬で出てきてくださった。ありがたい。そこで俺は今日一日のことを話した後で、自分が今思っていることを聞いてみたのである。
「いや、何というか夢を叶えてくれたのはありがてぇことこの上ない話なんですけど、なんで俺このままなんですか?」
「は?」
「いやそのほら、二次元に来たからにはいきなり美少女とフラグが立つ~とか、世界の危機を救うチャンスに恵まれる~だとか……。てかなんで俺二次元に来てまで会社の掃除とコピー取りとお茶くばっかりやってんすか!」
「お主よ、テレビドラマもしくはドキュメンタリーというものは嗜んでおるかね?」
「は?ま、まぁ……。ありますけど。」
もちろん三次元のことであろう。
「あれあれ。お前がよう見とるアニメとかいうものもあれとおんなじ。構造というかシステムが」
「は?」
二人称がお主からお前に変わったことにすら気付かなかった。
「いや、じゃからな…。要はこの世界の多くのイベント、誕生から入学、恋愛や就職、結婚や失恋、病気やら死というものがクローズアップされて取り上げられる、もしくは演技の集大成がお前が見てるテレビや円盤に姿を変える。」
「え、え、え、ちょっと待ってじゃああれ全部ニセモンなの?」
「いやいやもちろん全部が全部ニセモンというわけじゃないぞ。お前が昨日いた世界でも同じじゃろ?」
「まぁ物とかは。」
「それと同じ同じ。お前が想像した世界をわしは創造しただけじゃ。お前が想像したとおり」
神様は二回言った。俺が想像した世界……。てことは当然駅で見かけたような人間や魔法少女やドラゴンもいるはずであり、いるのだろう。
「じ、じゃあなんで俺は、その……」
「ん?」
「リア充じゃ、無いんでしょうか…?」
「お前はそらそうでしょ。」
「いやでもほら!想像くらいなら出来るし!!」
そうだ。俺は何百本とアニメを見てきたしギャルゲーだってかなりの数をこなしてきた。女の子がどんな風にアプローチをかけてくるか、どんなシチュエーションがあるかなんか知り尽くしている。俺自身にいつ起こるかと何度妄想したことか。
「それお前、自分が受け手に回ることばかりではなかったか?」
「お、おう。」
「それじゃ創れるわけなかろうて!自由意思を持つ人間ばかり存在する世界でお前だけがハーレムを形成する世界なんぞ!」
「……。」
考えてみればそうだ。二次元の住人には二次元の住人としての生活がある。ぽっと出の男に構っている余裕なんて何処にもないのだ。華麗な女性は一人のイケメンを捕まえるために日々戦い続け、戦士やハンターもまた、別の形で戦い続ける。学園ものの主人公やヒロインとなればもはや生きている世界が違うし、魔法少女や獣人と俺のようなクソ雑魚社会人がお友達になれるはずもなかった。
「俺は創る世界を間違えた…ってことか?神様よ」
「違う。現実を加味してなかったっていうところ。創る世界自体は別に間違っとらん。直接的にはわしが創ったんやぞ。」
なるほど。
「つまり二次元に夢も糞もねえじゃねええかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
俺は叫んだ。悲痛な叫びだった。でも考えてみれば当たり前の話だったのかもしれない。俺は幼少期、いつからかヒーロー戦隊やアニメから遠ざかっていた。それは自覚があろうとなかろうと、世界にはそんなもの存在しないのだということを何となく感じていたからではなかっただろうか。ドラマも同じだ。その感覚を何故忘れていたのか。もちろんドキュメンタリーは嘘ではないけども同じようなことが俺にも確実に起こり得るのかというとそういうわけでもない。俺はそのことを忘れ、自分にとって完全に都合の良い世界を妄想した。それは結局、俺が元いた世界、三次元でも全く同じことが言える。どこにでも出会いやフラグはあるがそれを自分から動いて掴まなければ報われないのだ。二次元の世界に来たからこそ余計にそれを痛感することとなった。
「神様よ。」
俺は泣きながら言った。
「三次元に戻してくれ。明日の朝一番で。」
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朝だ。目覚めが悪い。いつものことだ。
俺は6時に起床し、洗顔と朝食を済ませながら新聞を読む習慣がある。これもかれこれ一か月になるがもう板についたものだろう。たぶん。
しかし昨日とは少しばかり様子が違った。何というか、目に映る世界は昨日通りなのだが、『立体感がある』。
パンは同じくいつもの味。新聞もいつも通り…見慣れた新聞社だった。
昨日と同じように、会社へ行く。髪色も持ち物も、みんな元通りになっていた。ただ昨日ほど賑やかではない。みんな一人ずつ歩いてるし上空もやけに静かだった。
ぼんやりしながら歩いていると三度目の衝撃が走った。
再度転ぶ。また尻餅をついてしまっているが、こちらから手を差し延べる余裕もない。そんな俺の前に手が差し出された。
「ほら、大丈夫?」
見上げると二次元と三次元とで両方見たツンデレ女だった。最悪じゃないのか…?少し顔が赤いが大丈夫か?
「す、すみません。大丈夫です。」
「ったく、気をつけなさいよね。二回目でしょ!」
そう言って少し睨みつけてきてから…ふっと笑顔になり
「それじゃ」
そこを去っていってしまった。
なんだ。悪くないじゃないか。三次元。次見かけたらちゃんと謝ろう。
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「おはよう南くん。それじゃ早速だけど掃除お願いね。」
またもや出社早々掃除をお願いされてしまった。今日も綺麗だなぁ…と見ていると先輩の髪の毛にゴミがついているのを見つけた。が、流石に昨日の先輩と同じようなことはできず
「先輩、髪にゴミ、付いてますよ」
と声をかけるだけに留まってしまった。これですら以前の俺なら言えてないだろうことは間違いない。
恥ずかしかったのか(当たり前だ)、少し俯いてゴミを取る先輩。
その後自分のデスクへと戻る時に俺に近寄り、耳元で
「ありがと。」
と呟いていった。
なんだ、悪くないじゃないか。三次元。というか変わりなさすぎじゃないか?二次元……?
結局、二次元へ行ったところでやらなきゃいけないことは三次元と何ら変わりはないのだ。俺は会社で掃除とコピー取りとお茶くみをして過ごして帰宅してそう思った。ハーレムを作ることも世界を救うことも今の俺にはまだ荷が重すぎる。まずはこの会社でしっかりと仕事を覚えて、それからもっと人と関わりを持とう。自分が動くことが全てだ。
俺は再びゴールデンタイムのアニメを付けながら呟く。
「次はもう少し上手く創るからよろしくな。」
と、そこにまた現れた神様。
「まぁ、またお前と遊ぶ気になったらな。その時を楽しみにしとるぞ。」
「いやしばらくはいいけどな!」
思いっきり拒絶し、ゴールデンタイムのアニメを楽しんだ。あくまでも作り物としての二次元をな。
↑っていう体験をしてきたminami5741でした。
終わり