南の缶詰

経営オタクの雑記

東芝の不祥事とガバナンスコードについて私見を

今日は元経営学徒っぽい記事にしようと思います。というのも私の卒論のテーマであるコーポレートガバナンスをテーマとした大きな事件が起きたからです。

www.bloomberg.co.jp


ご存知の通り東芝の不適切会計問題
不正会計の方がニュアンスは近いような気がしますが言葉の問題は私にとっては些細なことなので専門の方にお任せしたいと思います。

ガバナンスなんぞ形骸化するもんだよ

さていきなりですが私は卒論やそれに類する発表を行う際ガバナンスの必要性とその有効性を説いてきました。が、当然そんなもんは完全に理想論であり現実にはそんな綺麗事がまかり通るわけはないんです残念ながら

此処辺が社会科学の論文を執筆する上で難しいところです。健全なる競争市場の実現というものを正しさと定義した時にその厳密さは現実的であるかどうかの検証ができないところがです。私の主張は正論としては恐らく正しいでしょう。ガバナンスを徹底すること、そしてその為にシステムを構築することが重要であるという単純な主張ですがそれを実際に運用するのは話が違うというだけのことです。

実際ガバナンスを徹底することは理論上は可能でも非常に困難なことです。
当然トップ自身を生業するためのシステムも作るわけですがそのシステム自体を構築しなおかつ運用するのも同じくトップなのです。
ということで大元のトップが今回みたいに暴走した場合は前提すら覆すことになり、結果としてガバナンスは意味を為さなくなります。

また、ガバナンスの徹底の一環で社外取締役を任命することが推奨されており、現在では上場企業に対し二名以上の独立社外取締役の選任が求められているようです。
が、これも専任するのはほかならぬトップマネジメントであること、社外取締役が活躍できるのは取締役会のみであること(社外取締役ももちろん本職を持っている為選任されたからといって選任した企業に常に携わるわけではない)、そして社外取締役個人のモチベーションによってパフォーマンスに差異が出ることなどを考慮すると社外取締役にガバナンスの徹底を過剰に期待することもできなのではないかと思います。


そんでもって最後にアレなことを言いますが所詮運営しているのは人間なので絶対放置してるとやらかします。性善説はビジネス、ひいては金に関係無いところでは遺憾無く発揮されるでしょうがこういう事件が起こる以上何の問題もなしに性善説を信じることはできないでしょう。


不祥事も起こすよ
人間だもの

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↑んで大体の場合こいつが諸悪の根源である

がバンスコードに意味はあるのか

それから金融庁東証が推進したらしい新たなるガバナンスコード自体は果たして意味を有しているのかという問題があります。
法的措置ではなく各企業に推進を促す程度に落ち着いているので、今回の東芝のように形だけ整えて実際は形骸化するという例は今後も充分起こり得ることだと思います。
それならば多少会社法を改正するくらいの勢いでガバナンスの徹底に手を出しても良かったのではないでしょうか。
どうにも海外の機関投資家を安心させたいようなそんな思惑が見えるのは私だけでしょうか。
形だけのことや目先のお金に目を奪われずにもっと根本的に生産性を確保するように企業を導いていく方針こそが真のガバナンスコードだとは思うんですがねぇ…。

コードで頼ることが出来ないのなら結局これまで通り「モラル頼り」ですからね。もちろん基本的には信じなければならないんでしょうが先程も申し上げたとおりビジネスの世界においては必ずしも信じ抜くことが正しいとは私は思えません。

せいぜい今日も無事に不祥事を企む輩が発生しないことを祈るばかりです。

minami5741でした